25年前のこと。

今日も今日とて、地震のことを考えています。
震災があったときから、一日も考えなかった日はありません。

今日は客観的に胆振東部地震のことを知りたくて、検索バーにそのまま入力。

写真等が出てくるかな、と思ったんですが、一番上にウィキペディアが出てきました。
そうか、ウィキもう作られたんだな。

中身を見てみると、時系列であの日のことが詳細に載っていて、とても長く感じたけれどたった一週間弱の話だったんだなと改めて思いました。

自分の住むところは震度5弱
過去震度7地震があったのはあの有名な阪神大震災
それを考えると、本当に恐ろしいなと思いました。

そして、過去に一度だけ大きな揺れを経験したことがあったことも思い出しました。

北海道南西沖地震
平成5年のことです。まだ小学生なのではっきりとは覚えていませんが、いつも揺れないうちが大きく揺れたことを覚えています。
その後の津波で多数の死者が出てしまったことも、連日報道されていました。

その地震よりも大きな震度の地震を経験したんだな、と思い、当時に、まだ人生めちゃくちゃ長いであろうに大きな地震を2回も経験してしまったということは、まだまだ地震に遭う確率は高いと言えます。

備えをしなくては、と思っているのに、また日々忙殺されて忘れていってしまう。
忘れないようにしよう、あのときの大変さを。

一ヶ月。

北海道胆振東部地震から、今日で一ヶ月です。

震災直後の電気が使えないストレスから解き放たれて、牛乳や納豆がようやく朝早く並ばなくても買えるようになり、あっという間に元の生活に戻ったような気がします。

私はツイッターもやっているのですが、震災直後にパニックになる私に、熊本の地震で被災されたフォロワーさんから『すぐ元通りの生活になるよ』とリプライを受けたときのことを思い出しました。

本当にすぐ元通りになったなと思うと同時に、いろんなことがちょっとずつ違ってきたなと思いました。

まずは地震に怯えるようになったこと。
今までは正直札幌市なんて揺れても2くらいで、私は特に疎くて気づかないことばかりでしたが、この震災があってから僅かな揺れでも『揺れている!』と気づいて、どうか収まりますように、と祈るようになりました。
この記事を書いている前日には、緊急地震速報が鳴り響いて揺れましたね。
会社だったのでまだ取り乱さずにすみましたが、心の中では怖くて仕方なかったです。

次にものを買うことに対して躊躇がなくなりました。
いつ死ぬかわからないから好きなものを買っておこう、という気持ちと、もう手に入らないかもしれない、買っておこうという気持ちと、多分震災のストレスでいつもより多く買い物をしている気がします。それも、金額をあまり見ないで。

そして、疲れが取れなくなりました。
これはもう私が年だからかも知れないけれど(笑)日々ぐったりしています。震災直後よりは普段の生活に戻ったはずなのですが…。

私の住所付近は液状化もなく、土砂崩れもなかったのですぐ元通りになりましたが、清田区や厚真の方はまだ避難生活も続いているだろうし、本当に大変だと思います。被災者ながらヤフーで募金をしました。少しでも何かの支えになれば。

また、何故か最近また東日本大震災の記事を読んでいました。被災者に実際なってみると受け取り方が全然違ってずっと泣きながら記事を読んでいました。震源地が内陸だから津波はこなかったけれど、いつでもこの可能性はあったと思います。

今でも自分が被災者と言えるのかピンと来ませんが
一つ言えるのは、震災に遭った人たちは、この震災を一生、絶対に、忘れることがないということです。

これからもう二度と来ませんようにと私が願ったところで地球は生きているからいつまた来てもおかしくはないです。
それまで後悔のないように生きるしかない。
被災で亡くなった方々に心からご冥福をお祈りします。
そして私も含め、皆様ご自愛ください。

こういうことになって初めて気づく。

北海道胆振東部地震からもう、一週間以上経とうとしています。

あんな大きな揺れがあったのに、ものの数日で周りは普通の状態に戻ろうとしています。

勿論、まだ液状化が発生しているところが直っているわけでもなく、北電の電力が十分に足りているわけでもなく、街の景色はいつもより暗いです。

それでも、前に行っていたお店に行けば、食べるものがある。
お金を出せば買うことができる。
牛乳や納豆、豆腐はまだ私のタイミングでは買うことができないけれど、少しずつ復興に向かっている。

正直、あの大きな揺れのあと、一番困ったのが停電で、その後電気が復旧してからまるで地震がなかったときのような生活に戻った気がしました。
私の住んでいるところは、幸い建物の崩壊などのない地域なので、余計に。

それでも、未だに思い出します。
地震が起きたあとの真っ暗な街中。
信号すらついていない、なんの物音もしない外。
震える手で自転車の鍵を開けて、あてもなく走らせて。
コンビニが開いていることに安堵して。
真夜中の時間帯なのにごった返していて。
充電器以外に何を買えばいいかわからず、カップ麺とコーヒーを一つずつ買って。
レジで見たこともない店員さんが制服を着ずに(おそらく休日だけど出勤したのでしょう)暗い中非常灯でレジを売ってくれて。
ひとまずコーヒーを飲んで近くの別のコンビニに行って。
何重にも並ぶ列に並んで。
レジが動かず電卓で計算してくれる店員さんと話して。
ようやく明るくなって。
急いで知人に安否確認をして。
実家に戻って、みんなの無事を確認して。
食料を求めて何軒も何軒もスーパーとコンビニとドラッグストアをはしごして。
真っ暗な中で母が土鍋でご飯を炊いてくれて。
ろうそくの明かりでご飯を食べて。
21時には布団に入って。
何十年かぶりに地元の小学校(避難所)に行って。
電気がついたとき嬉しくて。


本当に、まるで昨日のことのように思い出せる。
そして、どれだけの人に救われたかわかる。
セブンイレブンの店員さん、自分たちも被災していたのに売ってくれてありがとう。
セイコーマートの店員さん、電気か通らないのに色々売ってくれてありがとう。
トライアルの店員さん、ありがとう。

その他にもいっぱいいっぱい、あのとき関わった方、すべての方にお礼を言いたいです。
商品を売ってくれてありがとう。
皆さんのおかげで、なんとか生活できています。
本当にありがとう。

私が今できることは、そこで買うこと。
さて、買い物行ってくるか。

一週間。

北海道胆振東部地震から、今日で一週間が経とうとしています。

北海道はようやく落ち着いてきました。
ですが、生活は一変しました。

震災当初から落ち着いていた道民ですが、私はかなり焦り、精神的におかしくなっていたと思います。

テレビで「未曾有」「激甚災害」「被害総額150億円越え」等、この地震関連のニュースを見るたびに、辛く、苦しい気持ちになります。

大好きな北海道がどうしてこんなことになってしまったんだろうと、地震が起きてから数え切れないくらい考えました。

テレビでは節電のお願いが繰り返し流れています。
正直なところ、北海道全域を停電にさせた北電の責任を追求してほしいところですが、今は本当に日々なんとか生きていくだけです。

いつも新鮮な牛乳がすぐに手に入った北海道、今ではスーパーをはしごしても一本も手に入りません。
庶民の味方、納豆。納豆の棚はいつも空です。
他にも漬物類、卵、もやし、パン、足の早い野菜類は軒並み品切れです。
そして、売られている野菜は震災前の倍近い値段になっています。

すべてについて怒りや悲しみや憎しみがあるけれど、それをカバーするほどの気力もなく、仕方ないと言い聞かせながら生きています。

これを見ている方は、どうか防災の備えをしてください。そして、防災の心構えをしてください。

どんなところでも、どの都道府県でも震災は来る可能性があります。
私も震災前日までは、翌日に被災者になるとは思いもしませんでした。
みんな、その可能性があるんです。
だからこそ、備えと防災意識は大事なんです。

本当はもう二度と他の地区でもこんなことは起こってほしくありませんが、残念ながら日本は地震大国なので、どんなことが起こってもおかしくありません。どうか備えを。

ちなみに、私が必要だなと思ったもの一覧です。

・懐中電灯(光を見るだけで安心できます)
・ラジオ(情報源であり、言葉を聞いているだけでも安心します)
・それぞれの電池予備(この震災の翌日にどの店からも電池が全て消えました。ボタン電池しか残っていませんでした)
カップ麺(同じく、震災当日から品切れになりました)
・水(出ない場合があります)
スマホ用充電器(電池式で。充電式は充電するPCも使えません)
スマホ用充電アダプター(避難所では用意はありません。用意のあった区役所、市役所は最大4時間待ちでした。こういった状況の時の4時間は長く感じます。)
・ガソリンを満タンにしておく(ガソスタの行列で知人は7時間待ちだったそうです。シガレットライター用充電コードをもっていればスマホの充電もできます)
・ある程度の現金(停電時、ICカードを使えないお店が多いため)

今、北海道では急いで牛乳の生産及び納豆の生産をしています。
また、苫東発電所も急いで修繕しています。
みんな、一刻も早くもとの生活に戻れるように頑張っています。
毎年、半年は雪に埋もれながら逞しく生きてきた道民なので、きっと今回も乗り越えると思います。

最後に、今回の地震で被害に遭った方々に心から御冥福をお祈り申し上げます。
そして、色々と物資を送ってくださった友人に、心から感謝申し上げます。

一刻も早く、日常が戻り、道民と、そして北海道に観光に来る方の笑顔が見られますように。

疲弊。

震災から二日経とうとしています。

おかげさまで、無事電気も通り、電力会社の方にはありがたい気持ちでいっぱいです。

そして、疲れが溜まってきました。自覚していなかっただけかもしれないけど。

今まで、買いたいものを買いにコンビニに行ったりスーパーに行ったりして、買って、帰る、ただそれだけのことがどれだけありがたいのかを知りました。

また、実家に身を寄せているのですが、実家にひっきりなしに安否の連絡がかかってくるのも、正直疲れてきました。また、身内がこの緊急時に出勤せざるを得なくなり、その子守をするのも疲れました。

今までならなんともない些細なことにイライラが募ってしまうようになり、家族とも何度か喧嘩みたいなことになってしまいました。

なんでこんなことになってしまったんだろうか。
はたからみたら、自宅に待機していて、仕事もしなかったら楽だろう、と思われるだろうなと思いながら、蓋を開けてみたらいろいろなストレスでもう心が挫けそうです。

少しのことでイライラしたくないのに。
ちょっとしたことで気が滅入る、心が疲れる。
体が無事なのに、おかしな話です。
もっと大変だった人もいるのに、家があるだけ、ライフラインが復旧しただけ良かったはずなのに。

早くもとの生活に戻りたい。
カップ麺ばっかりの生活が辛い。
こんなに自分が忍耐力がなかったのかと、今呆れています。
先の見えない生活が辛い。どうしてこんなことになってしまったんだろう。考えても無駄なのに、気持ちのやり場がありません。

なんだか泣きたいのに泣けないという気持ちです。
家に帰ったら、ゆっくり泣きます。

本当に、疲れた。

北海道胆振東部地震

平成30年9月6日。

北海道胆振東部地震、発生。

私は前日に少し夜ふかしをしてしまい、1時過ぎに寝入りました。

私は、音楽を聞きながらいつも寝るのですが、目を閉じて寝ている際、イヤホン越しに「………してください」「ちゅ……してください」という女性の声が聞こえました。

なんだろう、と思った瞬間、横揺れが発生。
ごくまれに揺れることがあったので、また地震かぁ、と寝惚けながら考えていた瞬間、ガタガタガタ、と窓が揺れてベッドが横に激しく揺れました。

瞬間的にこれはまずい!と思ったものの、怖くて動けず、揺れが収まったと思ったときにようやく体を起こしました。

とりあえずスマホを確認しました。
聞こえた声は、緊急地震速報でした。
3時過ぎなのでツイッターのタイムラインはあまりいないかもしれないと思ったんですが、同じ市に住む方々が呟いていて、少し安心したことを覚えています。
そして、窓を開けてみました。真っ暗でした。皆起きなかったのかなあ、と思いました。今考えてみたら、皆起きていたんだろうけども、停電で電気がつかなかったんだと思います。

怖くて寝れなくて泣きながらスマホで確認していると、停電の情報を確認しました。
どうしよう、と思いました。今は明け方だし、すぐ復旧するかもしれないし、と迷って考えて、とりあえずお風呂に水をためながら、ガスの元栓をしめて、また布団に戻ってから考えて、今のうちしかないと思って、靴下を履いてパーカーを羽織って家を飛び出しました。


外に出た瞬間言葉を失いました。
無音。そして街灯もつかず、大通りに見える店屋の電気もついていない。
何かわからないけど、ものすごい不安に襲われて、自転車を急いで漕いで最寄りのコンビニに。
いつもの明かりがついていなくて、やっているのだろうか、と思って出てきた人に聞くと、やっていますよ、との答えによし、と思って飛び込みました。

コンビニの中はやはり電気がついておらず、レジにオレンジ色の光が灯っていました。
発生時から一時間ほどだったので、最後に残っていたスマホの充電器を無事手にして、あと何がいるんだろうと考えました。
でも、テンパっていてまったくわからなくて、とりあえずカップ麺とおやつ、落ち着きたくてコーヒーを買いました。
レジは稼働していました。クレジットカードは不可でした。
こういう時のために、現金でいくらかは用意しておかないとと思いました。
ありがたく必要品を購入して外へ。ようやく白んできた空を見上げて視線を下げると、いつもならついているであろう信号が真っ暗で、この世が終わりだなと思いました。

家に戻って、充電しつつ情報を収集しました。
震度6強とのこと、札幌市がとてつもなく揺れたこと。安平はもっと揺れていたことを知りました。私は、明日の仕事はどうなるんだろう、とぼんやり考えていました。
もう時間が遅かったので、そのまま起きていました。明け方、明るくなってきましたが、外は一切電気はつきませんでした。

6時前後くらいに親から電話がかかってきて、無事を知りました。そして勤務先から自宅待機と言われ、さて、どうしたもんかと思いました。電気はつかない、水道は出る、ガスも出る。でも電気はつかないし、実家に避難しようと思いました。
正直すごく心細かったので。

けれど、電気が通っていないということは実家に帰る手段がないと思い、親族に連絡をとって迎えに来てもらいました。
着の身着のままで実家に。
実家に行くまでの道は、当たり前ですが、すべての信号が消えていて、皆譲り合いの精神で走行していました。

札幌は、これまで計画停電はあったけれども、これまで大きな停電や地震はありませんでした。
これはずっと続くのか、この先どうなるのかと思いながら、実家について親の顔をみて、安心しました。実家には他の親族もいました。
同時に、まだ8時なんだと思いました。

でも、これからが長い悪夢の始まりでした。

実家も電気は通っておらず、簡単なものを食べながら、ラジオを聞いていました。
ラジオは繰り返し北海道で大きな地震があったこと、停電していること、復旧は未定と言っていました。

どんどん不安が高まっていきつつ、親族の姪とトランプなどして気を紛らわせていました。
充電もどんどん減っていきました。
いつ電気が通るのかなと思いながら、トランプをしていました。
途中、買い物が必要になり、私と父で買い物に出ました。朝方だというのに、スーパーの前はどこも行列でした。
見た目には被害はないから、どうしてこんなことになっているんだろう、って完全に現実逃避したことを覚えています。
結局個人商店で野菜を買い、家に戻りました。

そして、外がどんどん薄暗くなり、私はペンライトを、親は懐中電灯とランタンをつけました。

ついに真っ暗になりました。
電気が、本当につかないか何回もブレーカーを上げたり下げたりしてみました。結局つかず、下げました。
ペンライトをつけて、親といつ終わるのかな、なんて話をしていて、ひたすらにラジオから流れる情報を聞いていました。
ツイッターも見ていました。テレビで○○と言っていた、という情報は入るけれど、肝心のテレビが映らず歯がゆかった。
ただひたすらラジオが頼りでした。

この地震に名前がついたこと、犠牲者がいること、マグニチュードを知りました。

思い立って、外に出ました。
明かりの一切つかない札幌市の夜空は、こんなにも星空がきれいなんだと思いました。
天の川も、きれいに見えました。

結局、21時には布団に入りました。
こんな早くに寝られるだろうか、と思いながら寝ましたが、多分疲れていたようで、すぐ寝入りました。

朝方、スマホに今日も自宅待機ですと連絡があり、親と一緒にスーパーに行きました。
空いているところに行こうとするも、どこも行列で、それでもなんとか米や羊羹、おしゃぶり昆布を購入して帰りました。
どこのお店も、きっと店員さんもお疲れだろうに、笑顔で優しく対応してくださって、本当に有難かったです。

ガソリンスタンドはもっと行列でした。
並ぶのは諦めて帰宅し、自分の家の様子を見に行ってみました。
電気は、まだつきませんでした。
他の知人の家はもうついているのに、ラジオではどこどこは復旧したと言っているのに、どうしてここは繋がらないんだと、やり場のない気持ちが溢れました。

買い物がてら見つけた、近所の避難所に行って、充電できるか聞きました。ACコードがあれば可とのことでした。充電器しかなく、途方にくれました。また親に頼み、一度自分の家に戻りコードを手にしてとんぼ返りしました。

コードを持ち、再度避難所に行きました。数人しかおらず、皆充電をしていました。私も案内され、充電しました。スマホを開くと、電池がわずか1%でした。

充電が終わるまで、じっと座って待っていました。お昼ころに行きましたが、夜ギリギリまでかかりました。ずっと体育座りをして硬い床で座って待っていて、腰が痛くなりました。
子供や若い人、おじさんやおばさんもみんな利用していました。早く復旧してくれたらいいのに、という声が聞こえました。

やっと充電を終えて家に帰りました。
スマホでまた情報収集をしながら、暗くなったので親と話していたら、突然明るくなりました。
一瞬言葉が出なくて、やったー!と叫んで親と抱き合いました。即シャワーを浴びて、テレビをつけて、知人についたことを報告しました。

そして、今。
なんとか電気は通っています。
ですが、知人は電気や水道、ガスが使えない場所にいます。
どれだけ普段の生活で電気に頼っていて、電気に安心を求めていたかわかりました。
水道やガスは元々使えたので、余計にそう思ったのかもしれません。
それから、もしこれが冬だとしたら、一切の暖房設備がなく凍死していたと思います。

電気は半分ほと復旧しました。逆にいうとまだ半分も復旧していません。大きな地震のあとで、不安でいっぱいの中、一刻も早く電気を復旧してほしいと切に願っています。

そして、いろんな場所からお気遣いの声を聞いています。お気持ちがすごくありがたかったです。

これからが問題だと思います。
気合で、乗り切ります。
でも、くじけたときは、ちょっとだけ愚痴ります。
日が経てば立つほど、どれだけすごかったのかわかります。
頑張ろう、頑張るしかないんだ。

ただの一般人が謝罪会見を見て思ったこと

ある日、ツイッターに突然某有名アイドルグループのメンバーが書類送検されたというニュースがトレンドに上がってきた。

なぜ?!と思ってそのニュースを追っていた。

どうやら、46歳成年男子(という表記もなんだか違和感があるけれども)が女子高生にいかがわしいことをしたとか。

第一印象としては、本当になんで?という気持ちでいっぱいで。
その次になんてことをしてるんだ、馬鹿じゃないのか。という気持ちでいっぱいになり。

その直後、朝早くにメンバーの一人が自分のテレビ番組で涙ながらに謝罪をしていた。

その彼の表情もまた、なぜこういったことになるのかという怒り、悲しみ、失望が入り交じって終始辛そうであった。

そして本人の謝罪会見が行われた。
私は仕事で見ることはできなかったので、帰りながら動画サイトで見ていたけれど、彼の話していた内容はあまり頭に入らなかった。
ただひたすらに「なんでこの人はこんなに泣いているようにみえて気持ちが伝わらないんだろう。」という気持ちだった。

大人が謝罪をするということはよくある。
大人だから?責任があるから?
それだけじゃない。
自分のしたことの愚かさを、罪を、ご迷惑をかけた方に謝る、ということができて初めて大人は謝罪をすることができるんだ。

でも。
私が見た彼は。
少なくとも「事務所」「同じグループのメンバー」へ謝ってはいた。
けれど、「被害女性」への謝罪はそれに比べて薄っぺらさを感じてしまった。
彼はごめんなさいとひたすら謝っていたけれど、黙っていたこと、そして事務所へ迷惑をかけたことに対して謝っていて、だからこそまだ籍があるならそこに居続けたい、と言ったんだと思う。

でも、そこに被害女性への気持ちって、なくないか?

ふつふつと疑問が湧き出てきて、少し世論を検索してみた。
世の中ではふらふらと遊び歩く女子高生が悪いだの、彼にされるなら私がされたいだの、問題の本質をわかっていない人が面白おかしく軽はずみに擁護しているのを見ていると本当に憂鬱になる。

大前提として、犯罪行為をしてしまった以上、その加害者が100%悪い。
被害者に過失があろうがなかろうが、争点はそこじゃない。被害にあわせたこと、傷をつけたこと、それは揺るぎない事実。

そして、リーダーがテレビ番組で仰っていた「(グループに戻りたいと言っていたけど)ありえない」という言葉。これにすべてが凝縮されている。

やってしまった彼は何もかも甘かった。
背景にお酒、そして入院、きっと一般人ではわからない苦悩もいっぱいあるだろう。
それでも、人として踏み外してはいけない階段を踏み外したせいで、一人の女性を深く傷つけた。

たったひとつの甘さが、そういう事態を引き起こした。でも彼が真っ先に誠意を見せる先は、グループでも事務所でもなく、被害者。彼はちゃんとわかっているんだろうか。



すごく余計なおせっかいだし、本当は書くことでもないかと思ったけれど、世論があまりに彼へ味方をしているので、ここで気持ちをぶちまけたかった。


私個人的には、もう引退する他ないと思っている。
私も本当はあのグループが好きだったし、日曜に番組を見るのも好きだったけれど、ファンだからといって盲目的に見てはいけないと思う。
もし彼が戻りたいというのであれば、それは本人や周りが決めることではなく、被害者の意見を尊重すべきだと思う。

なんにせよ、失望と無念、呆れ、それに尽きる。