白日の下に晒されることの是非
最近思うおばさん。
世の中こわい。
以下、差別的な意味を持って書いてるわけじゃないので、完全な私の主観なので、批判とかはしないでいただけるとありがたいです。多分、私が感じていただけかもしれないけれど。
昔、私は、オタクというだけでクラスから浮いていた。腐女子、という言葉も使うことを躊躇われるほどに。
クラスにはカースト制度があった。
頂点は、きらきら眩しい今で言うリア充。
昔は、そんな言葉が存在しなかったから、明るい人たち、遊んでいる人たち等呼ばれていた。
その次に大多数の、遊んでいる目立つ存在ではないけれど、普通の学生。誰かと恋愛をして、いつのまにか結婚してたような。
そして最後に、オタク。
私のクラスは、漫画を読んでいるだけでオタク、暗いだのと呼ばれ、忌み嫌われていた。
もちろん漫画を書いたり小説を書いたりする子もいた。私も書いていた。でもそれは周りには見せるけれど、こっそり。
まさかそれがインターネットという海に放たれて、世界中の誰でも読めるような世界になるなんて。
オタク、マンガという言葉が世界で有名になっていくなんて。
そして、いろんな、本当に様々な人たちの趣味嗜好が、なんのカバーもなく、誰の目にもとまるようなこの世界が。正直、喜ばしい反面、戸惑いが大きい。
上記の通り、昔から自分の好きなものは、こっそり、内輪で楽しむものだと思っている、というか慣れ親しんでいるものだから、
たとえて言うなら、
「おーい!この子が好きな○○だよ!」と雑踏の中大声で叫ばれるような、そんな気持ち。
そして考えてみた。
世の中こわい。
有りえないことっていくらでも起きるんだなって。
波に乗れるサーフィンがうまい人ももちろんいる。
でもそのサーフィンに上手く乗れない人って、どうしたらいいんだろうなあって。
いつまでも波に手を触れて、少し大きな波が来たら逃げて。
どうしたらいいんだろうって。
こんな大きな海にはいれない。って思っている人たちも、サーフィンがうまい人たちが上手く誘導してくれたらいいと思う気持ちと、でも心の中で臆病な自分が「そっとしておいてください…」って思う気持ちがあるよなって。
無理やり海に放たれたら、元祖根暗たちは多分溺れ死ぬ。
大きな声でみんなに知らせるのも、果たしてそれは全員が全員嬉しいことなのかって、公式さんには今一度少し、思いやってほしいなあと思っている。
あえてすごくわかりづらくしてるけど、まぶっちゃけていうと安売りするのと有名税を稼ぐのは紙一重だなということです。
お前らこれ好きなんだろ?的な感じで調子に乗ってあれをやったりこれをやったりするなとは言わないけど、そこはそういう誰でも見れるようなことしたらあかんやんって。
それに対して面白いねっていう人もいれば、私の学生時代のクラスメイトのような反応をする人たちもいるのであって。
実際、そういうのを見て、オタクを十把一絡げにしている人たちはそれに対してこいつこれ好きなんだなって、思われる可能性も否定できない。
ただ単に全員が喜ぶと思わないでほしい。
とりあえず私は見ないけど。
そっと波を撫で続ける人も、サーフィンに乗りこなす人も、それに対する愛情は同じだよ。
生死について
先日、ちょっと健康について考える機会があったので、メモしておこうと思った。
私は生まれたとき、重さだけは大きかったものの、健康体というよりか人よりも少し朝が弱く、まただるさがずっと続いたりしていた。
私の親は、完全に昔の人間で、それをサボりたいから、だらしないからなどと叱り、私もきっとそうなんだ、私はだらしない人間なんだ。と思っていたし、実際だらしがないのもあった。宿題女子で一人だけ忘れたりしたし。
まあそれでも、入院したり手術したりするようなこともなく、この年まで生活できていた。
できていたという過去形なのは、ちょっとヤバそうだなーということがありまして。まだわかんないけど。
それで、もし私が入院したり、まあ、万が一のことがあった場合を考えていたのね。
するとどうでしょう!ネットでしか繋がってない人の多さね!連絡先も何も知らない、けれどその人のことはよくわかる!っていうお友達の多さ!
つまりあれでしょ?私が発信しなくなったら、私の生存情報すらわからなくなるでしょう。
私の親は、こういう機械関係一切わかりません。なんならネット環境もありません。完全にアナログ人間ね。そんな人に、『ツイッターでこうやってつぶやいてほしい』って言えるか〜!ってなったのですよ。
それよりも見てほしくない気持ちでいっぱいだけどさ。
兄弟はいるんだが………すごく好奇心旺盛な兄弟なので、できることなら知ってほしくないというか、まあ知ってしまうかもしれないけども、その時はその時だけど、その前に自分の口から書けるときに書いておこうと思って。
細細とやっているツイッターで繋がってる方ももちろん、繋がってないけどこの人大丈夫かなーって人にも見えるように、ブログに書いておこうと思いました。
とりあえず、私が覚悟した瞬間にパソコン及びスマホはぶっこわそうと思ってます。
その覚悟したときから、多分色々なことが眩しく感じられたり、妬んだり、いつも以上にネガティブになると思うから、多分何も開かないし何も見ないように生活すると思うんだ。
なので、一切音沙汰なくなったら、星になったなと悟ってもらえたら有り難いです。
本当に星になる前はきっとそんなこと関係なく喚き散らすかもしれないけど、そんなの醜いよなって私の中の私が笑ってるんで、消えるときはばッと消えようと、思ったりしてます。
重い話題ですけどまだ全然何がどうとか決まったわけじゃないんで!
そしてあとで消すかもしれないけど!
一応、書いとく。
すごくたのしかったし、まあ辛いときのほうがいっぱいあったけど、これもまた私の人生だ。
一度は海外に行きたかったな。
あとフォロワーさんにもまた会いたかったな〜。
元気になれば、また会えるもんね。
引退と勇退
まじか。
私が仕事に忙殺されている間、一体何があったんだ安室ちゃんよ。
と思いつつ、世間のように某太い眉毛の女の子を大丈夫?と思ったりはせず、私が一番直感的に頭をよぎったのは、勿論と言うかやっぱりと言うか某国民的アイドルグループだった。
安室奈美恵は、歌がうまい。ダンスもうまい。パフォーマンスに命を懸けている。華がある。つまり私の青春である。
と、同時に。
SMAPも、歌はそこそこにうまい。ダンスもそこそこにうまい。(この2つは正直他のグループの方が素晴らしいときもある)パフォーマンスも命を懸けている。
そして何より、華、いや、オーラがある。同じく私の青春である。
そして、YouTube を見る。
画面の奥には、楽しそうに、時には大変なことを乗り越えながら、SMAPの5人が、いや、6人が笑顔ではしゃいでいる。
私は、みんなの笑顔がもっと見たかった。
テレビ越しでもいい。ライブも勿論嬉しいけれど、月曜に仕事を頑張ってクタクタで帰ってきたとき、テレビを付ければそこに君たち5人が、画面の向こうで頑張っている姿を見て、笑いながら、感動しながら、今週も乗り切ろうと頑張れていたのに。
テレビをつけても君たちが揃っていないことに、いまだに身体が慣れない。もしかしたら他の局では揃っているのかも、と思っていたのはちょっと前まで。
もう、テレビを見るのをやめた。
そこに君たち全員が揃うことがないから。
こっちがありがとうを言う前に、事務所の不思議な圧力で、雲散霧消してしまった5つのかけがえのない星たちが、どれだけの人間を支え続けてくれていたのか、訴えたいけれど、行き場のない思いは結局歌を聞いて慰めるしかないんだ。
安室ちゃんは、最後の一年間精一杯がんばると仰っていた。
どうしてSMAPにはその機会も与えられなかったのかなぁ。
その一年があれば、きっともう少し現実味を帯びて解散を受け止められていたのになあ。
あれから色々な所で私の大好きな人のせいで解散しただの、悪者は誰だの良くないことばかりニュースで見るけれど、裏を返せば、それだけまだまだいなくてはならない存在だったっていうことに、みんな薄々気づいてくれているんじゃないのか。
SNSをやるっていう噂もみたけれど、私は正直、そういうことよりも、また5人で紅白の階段を降りる姿が見たい。タモリさんにアドリブで寄って歌う姿が見たい。SMAPです、というアナウンサーのこえで、会場が黄色い歓声に包まれているところがみたい。
自分の好きな人たちがいつまでもその解散話に囚われるくらいなら、やっぱり安室ちゃんみたいに猶予期間が欲しかったな、と思いつつ。
兎にも角にも、安室ちゃんお疲れ様でした。
貴方のストイックなバラエティ嫌いの姿勢、嫌いじゃないです。
そしてSMAPのみんな。
いつでもファンは応援するから、また戻ってきてほしい。いつでも。50歳でも60歳でも、絶対に応援するから、またみんなの笑顔を見せてください。
とりあえずは今月末のスマステ、必ず見ましょう。慎吾の最後の勇姿を、胸に、目に、焼き付けます。
様々な事象が重なって起こった話について
私は嗜好品がすきです。
コーヒーと紅茶と緑茶にはわりとこだわりがあります。
その中でも、今回は紅茶について書きたいと思います。
カレルチャペックというブランドに出会ったのは、某SNSでよくお話しする方からの
頂きものという形でした。
某Rというお茶専門店でよくお世話になっているので、
お茶には結構拘りと好みがあります。
今回頂いた紅茶は、某名探偵が小さくなったアレのコラボ商品でした。
実は私は大のコナン好きで(言ってるし)
嬉々としてそれを開封して、飲んでみたわけですけども。
うまい(テーレッテレー)
いやまじで。
ホントうまかったです。最近香料にごまかされる紅茶が多い中で、
しっかりと紅茶の味もしましたし、フレーバーもそっと寄り添う感じで。
なんぞこれは?!と思い、
早速検索しました。お店を。
関東しかない。(知ってた)
残念に思いながら、ネットサーフィンしていたんですが。
まさかの!近所にカレルチャペック取り扱いのお店が!ある!!!!
しかも最近オープンしてる!!!!
しかしながら、私の仕事の都合がつかず、
発見してから2週間近く経ってから、ようやくお店に伺うことが出来ました。
お店には様々なお茶が陳列されていまして、
目が移りまくっていた私に店員さんが「どうぞ」と試飲をくださいました。
走って向かった私はそれをのんだ瞬間、
「これください」(即答
結局、
- 蘭のレモンパイティー
- ナイトアールグレイ
- チルドレンハーブ(試飲で即購入したもの)
最近のアプリはDLが尋常じゃない件
夢100とアイナナをやっているわたしです。
色々と放置していますが、この2つはなんとかやってる。
なぜかというと
●夢100→そこそこキャラ強くなってきたし、なにより夢要素がある。
●アイナナ→がくやおとめ、りゅうのすけつなしが好き。
完全にキャラありきです。
そんな私ですが、アイナナと夢100みたいにパズルや音ゲー要素があり、かつ乙女ゲーム要素があるものがないかなぁーーー、と探していたら。
『夢色キャスト』
ああこれはタイムラインでよく話題になっていたやつだなあと思い、某声優の歌声が好きだったので、まあやってみるかーと気軽にポチりました。
おっそい。
DLしぬほどおっそい。
起動→DL→画面タップ→DL‥
待てまて待て。
ダウンロード多いな!
ちょっと紅茶でも飲んで待とうかなと思っていたけど、紅茶が出切って、二杯目に突入しそうになったので、
『うおおおもういいわ!』
と部屋の掃除をはじめました。
部屋が片付き始めた頃、DLも終わり、画面をタップしてね☆と書いてあったのでポチッ。
『DL中』
何のだよ!
夢色キャストのダウンロードの多さ、半端ないっす。
ちなみに、しばらくやってみて、タップも難しく積みそうな気配を感じていたところ、恋愛ドラマ部分を開放?出来たので、わっくわくで読みすすめましたが、一番気になるところで終わるという悲しみに包まれました。
夢色キャスト、ゆるーりとやってみます。
死について
先日、著名な方の奥様が亡くなった。
梨園の妻になるというニュースをテレビで見たことがあるくらいの認識だったけれども。
ある日、彼女が癌であるということを公表した。
その時に、一瞬頭をよぎったのは、某アナウンサーさんだった。
あの方も、私の病名はガンです、とはっきり仰っていた。
その頃は命について深く考えられる年齢ではなく。
それでも、いつもテレビで見たことがある人に対してとてつもない衝撃を受けた。
冬。
彼が亡くなったという新聞記事を目にした。
全くお話をしたこともない、テレビの向こうにいる方なのに、私はポロポロと涙をこぼした。
私の大好きなおばあちゃん。
おばあちゃんの死に際に、私はそばにいることができなかった。安らかに眠る祖母の隣で、また同じようにポロポロと涙をこぼした。
ありがとう、も、ごめんね、も伝えられなかった。
この年になると、身近な人が亡くなることも珍しくなくなる。
彼女は、もっと生きたかったはずだろう。
もっとやりたいこともあったはずだろう。
私が計り知れないほど、たくさんの『生きてやりたかったこと』があるだろう。
自分はどうだろう、と思った。
嫌なこと、辛いこと、たくさんあるけど、
まだやりたいことはたくさんある。
後悔だけはしたくないけれど、
誰も自分がいつ死ぬなんてわからないから、
やりたいように生きるしかないんだと思う。
日々を丁寧に生きようとか、
命を大事にしようとか、
そんな綺麗事ではなく、
とりあえずは今日も生きた。
それだけでいいんじゃないかなって、私は思う。
生についての答えなんてもちあわせていないけれど、それはきっと、死んでもわからないから。
改めて、ご冥福をお祈りします。
昔の自分へ
ツイッターを始めてから、早何年か経つ。
飽き性な自分がここまで長く続けられるのも、即レス能力、趣味、そしてニュースや時事ネタも確認できるからに他ならない。
ただ、ツイッターの使い方を、間違えたことはある。
私は、色々なSNSを利用することに積極的民なので、ツイッターも初期に登録していた。
でも、やらなかった。
書くことがなかったのだ。
最初にツイートした言葉は、今でも覚えている。
『こんにちは。』
もちろん、フォローもフォロワーもなかった時で、全くなんの反応もなかった。
その時点で『つまらん』そう思った。
そして幾年か過ぎて、私は某ジャンルにハマった。
虫眼鏡のマークを押して、そのワードを入れると、山のように画像やら文章やらが出てきた。
『なんだこれすげえな』と思った。検索の手が止まらなかった。とりあえず色んな人を片っ端からフォローした。
そして、初めてフォローバックというものをもらった。
『なんだこれすげえな』とまた思った。この人は一切私の顔も素性も知らないのに、フォローして会話をしている。
すげー。素直にそう思った。
でも、素直にそう思うのは、初期だけだった。
『うーん』
こう思うことが増えた。
それは、ツイートの内容だったり、リプライをもらった内容だったり、リツイートが苦手なものだったり、理由は些細なことから大きなことまで様々だった。
『つまらん』またそう思った。
こんなことでいちいちくよくよする自分がつまらない人間だと思った。
このツールで自分は何がしたいんだろう。
何を求めているんだろう。
考えて、またちょっと考えて。
ツイートができなくなった。
これを言ったら人になんて思われるんだろう。
そう考えたら何もできなくなった。
こんなに素晴らしいツールなのにな、と思いながら、私は、削除ボタンを押した。
正直、一ヶ月以内ならまた復活できるし、と気軽な気持ちで削除を押した。
でも、そのアカウントをまた復活させよう、と思うことはなかった。
しばらくツイッターを離れてみて、あの人どうしてるかな。あの人は元気かな?と思うことが徐々に増えていった。
全くの他人なのに。
でも、ひとり暮らしでコミュ障の私は、誰かとコンスタントに連絡を取り合うことなどツイッターしかなく、逆に言えばツイッターでお互いの生存報告をしているんだな、と思った。
また、アカウントを作り直した。
卑怯だな、と思った。
自分が卑怯だなと思ったけど、やってしまった。
結局、ツイッターからもう逃げることはできないんだなと思った。
同時に、ツイッターからかなりの元気を、やる気を、笑いをもらっているんだってわかった。
ツイッターでしか連絡をとってない、本名もわからない人たちと何度もあったり、郵送したり。
昭和の人間の私には考えられなかったし、若い頃の私ならひねくれていたから流行りには絶対乗らなかったんだけど。
流行りを超えた何かがツイッターには有って。
言葉では言い表せられないけど、どうしたって私は、このツールが好きなんだろう。
たぶんまた『つまらん』と思うことはきっとあると思う。
削除ボタンを押したくなる気持ちも何度もあると思う。
でもどうやったって私は、またここに戻ってきてしまうんだ。
こうして腹を括ったことで、だいぶツイッター生活が自分の中で重荷ではなくなった。
今まで逆に何を重荷に感じていたのか過去の自分に聞きたいけれど、
きっと曖昧な顔して『つまらないから』って言うと思う。
そして私はそいつに『どうせ離れることなんてできないよ』って、笑ってやるんだ。