疲弊。

震災から二日経とうとしています。

おかげさまで、無事電気も通り、電力会社の方にはありがたい気持ちでいっぱいです。

そして、疲れが溜まってきました。自覚していなかっただけかもしれないけど。

今まで、買いたいものを買いにコンビニに行ったりスーパーに行ったりして、買って、帰る、ただそれだけのことがどれだけありがたいのかを知りました。

また、実家に身を寄せているのですが、実家にひっきりなしに安否の連絡がかかってくるのも、正直疲れてきました。また、身内がこの緊急時に出勤せざるを得なくなり、その子守をするのも疲れました。

今までならなんともない些細なことにイライラが募ってしまうようになり、家族とも何度か喧嘩みたいなことになってしまいました。

なんでこんなことになってしまったんだろうか。
はたからみたら、自宅に待機していて、仕事もしなかったら楽だろう、と思われるだろうなと思いながら、蓋を開けてみたらいろいろなストレスでもう心が挫けそうです。

少しのことでイライラしたくないのに。
ちょっとしたことで気が滅入る、心が疲れる。
体が無事なのに、おかしな話です。
もっと大変だった人もいるのに、家があるだけ、ライフラインが復旧しただけ良かったはずなのに。

早くもとの生活に戻りたい。
カップ麺ばっかりの生活が辛い。
こんなに自分が忍耐力がなかったのかと、今呆れています。
先の見えない生活が辛い。どうしてこんなことになってしまったんだろう。考えても無駄なのに、気持ちのやり場がありません。

なんだか泣きたいのに泣けないという気持ちです。
家に帰ったら、ゆっくり泣きます。

本当に、疲れた。

北海道胆振東部地震

平成30年9月6日。

北海道胆振東部地震、発生。

私は前日に少し夜ふかしをしてしまい、1時過ぎに寝入りました。

私は、音楽を聞きながらいつも寝るのですが、目を閉じて寝ている際、イヤホン越しに「………してください」「ちゅ……してください」という女性の声が聞こえました。

なんだろう、と思った瞬間、横揺れが発生。
ごくまれに揺れることがあったので、また地震かぁ、と寝惚けながら考えていた瞬間、ガタガタガタ、と窓が揺れてベッドが横に激しく揺れました。

瞬間的にこれはまずい!と思ったものの、怖くて動けず、揺れが収まったと思ったときにようやく体を起こしました。

とりあえずスマホを確認しました。
聞こえた声は、緊急地震速報でした。
3時過ぎなのでツイッターのタイムラインはあまりいないかもしれないと思ったんですが、同じ市に住む方々が呟いていて、少し安心したことを覚えています。
そして、窓を開けてみました。真っ暗でした。皆起きなかったのかなあ、と思いました。今考えてみたら、皆起きていたんだろうけども、停電で電気がつかなかったんだと思います。

怖くて寝れなくて泣きながらスマホで確認していると、停電の情報を確認しました。
どうしよう、と思いました。今は明け方だし、すぐ復旧するかもしれないし、と迷って考えて、とりあえずお風呂に水をためながら、ガスの元栓をしめて、また布団に戻ってから考えて、今のうちしかないと思って、靴下を履いてパーカーを羽織って家を飛び出しました。


外に出た瞬間言葉を失いました。
無音。そして街灯もつかず、大通りに見える店屋の電気もついていない。
何かわからないけど、ものすごい不安に襲われて、自転車を急いで漕いで最寄りのコンビニに。
いつもの明かりがついていなくて、やっているのだろうか、と思って出てきた人に聞くと、やっていますよ、との答えによし、と思って飛び込みました。

コンビニの中はやはり電気がついておらず、レジにオレンジ色の光が灯っていました。
発生時から一時間ほどだったので、最後に残っていたスマホの充電器を無事手にして、あと何がいるんだろうと考えました。
でも、テンパっていてまったくわからなくて、とりあえずカップ麺とおやつ、落ち着きたくてコーヒーを買いました。
レジは稼働していました。クレジットカードは不可でした。
こういう時のために、現金でいくらかは用意しておかないとと思いました。
ありがたく必要品を購入して外へ。ようやく白んできた空を見上げて視線を下げると、いつもならついているであろう信号が真っ暗で、この世が終わりだなと思いました。

家に戻って、充電しつつ情報を収集しました。
震度6強とのこと、札幌市がとてつもなく揺れたこと。安平はもっと揺れていたことを知りました。私は、明日の仕事はどうなるんだろう、とぼんやり考えていました。
もう時間が遅かったので、そのまま起きていました。明け方、明るくなってきましたが、外は一切電気はつきませんでした。

6時前後くらいに親から電話がかかってきて、無事を知りました。そして勤務先から自宅待機と言われ、さて、どうしたもんかと思いました。電気はつかない、水道は出る、ガスも出る。でも電気はつかないし、実家に避難しようと思いました。
正直すごく心細かったので。

けれど、電気が通っていないということは実家に帰る手段がないと思い、親族に連絡をとって迎えに来てもらいました。
着の身着のままで実家に。
実家に行くまでの道は、当たり前ですが、すべての信号が消えていて、皆譲り合いの精神で走行していました。

札幌は、これまで計画停電はあったけれども、これまで大きな停電や地震はありませんでした。
これはずっと続くのか、この先どうなるのかと思いながら、実家について親の顔をみて、安心しました。実家には他の親族もいました。
同時に、まだ8時なんだと思いました。

でも、これからが長い悪夢の始まりでした。

実家も電気は通っておらず、簡単なものを食べながら、ラジオを聞いていました。
ラジオは繰り返し北海道で大きな地震があったこと、停電していること、復旧は未定と言っていました。

どんどん不安が高まっていきつつ、親族の姪とトランプなどして気を紛らわせていました。
充電もどんどん減っていきました。
いつ電気が通るのかなと思いながら、トランプをしていました。
途中、買い物が必要になり、私と父で買い物に出ました。朝方だというのに、スーパーの前はどこも行列でした。
見た目には被害はないから、どうしてこんなことになっているんだろう、って完全に現実逃避したことを覚えています。
結局個人商店で野菜を買い、家に戻りました。

そして、外がどんどん薄暗くなり、私はペンライトを、親は懐中電灯とランタンをつけました。

ついに真っ暗になりました。
電気が、本当につかないか何回もブレーカーを上げたり下げたりしてみました。結局つかず、下げました。
ペンライトをつけて、親といつ終わるのかな、なんて話をしていて、ひたすらにラジオから流れる情報を聞いていました。
ツイッターも見ていました。テレビで○○と言っていた、という情報は入るけれど、肝心のテレビが映らず歯がゆかった。
ただひたすらラジオが頼りでした。

この地震に名前がついたこと、犠牲者がいること、マグニチュードを知りました。

思い立って、外に出ました。
明かりの一切つかない札幌市の夜空は、こんなにも星空がきれいなんだと思いました。
天の川も、きれいに見えました。

結局、21時には布団に入りました。
こんな早くに寝られるだろうか、と思いながら寝ましたが、多分疲れていたようで、すぐ寝入りました。

朝方、スマホに今日も自宅待機ですと連絡があり、親と一緒にスーパーに行きました。
空いているところに行こうとするも、どこも行列で、それでもなんとか米や羊羹、おしゃぶり昆布を購入して帰りました。
どこのお店も、きっと店員さんもお疲れだろうに、笑顔で優しく対応してくださって、本当に有難かったです。

ガソリンスタンドはもっと行列でした。
並ぶのは諦めて帰宅し、自分の家の様子を見に行ってみました。
電気は、まだつきませんでした。
他の知人の家はもうついているのに、ラジオではどこどこは復旧したと言っているのに、どうしてここは繋がらないんだと、やり場のない気持ちが溢れました。

買い物がてら見つけた、近所の避難所に行って、充電できるか聞きました。ACコードがあれば可とのことでした。充電器しかなく、途方にくれました。また親に頼み、一度自分の家に戻りコードを手にしてとんぼ返りしました。

コードを持ち、再度避難所に行きました。数人しかおらず、皆充電をしていました。私も案内され、充電しました。スマホを開くと、電池がわずか1%でした。

充電が終わるまで、じっと座って待っていました。お昼ころに行きましたが、夜ギリギリまでかかりました。ずっと体育座りをして硬い床で座って待っていて、腰が痛くなりました。
子供や若い人、おじさんやおばさんもみんな利用していました。早く復旧してくれたらいいのに、という声が聞こえました。

やっと充電を終えて家に帰りました。
スマホでまた情報収集をしながら、暗くなったので親と話していたら、突然明るくなりました。
一瞬言葉が出なくて、やったー!と叫んで親と抱き合いました。即シャワーを浴びて、テレビをつけて、知人についたことを報告しました。

そして、今。
なんとか電気は通っています。
ですが、知人は電気や水道、ガスが使えない場所にいます。
どれだけ普段の生活で電気に頼っていて、電気に安心を求めていたかわかりました。
水道やガスは元々使えたので、余計にそう思ったのかもしれません。
それから、もしこれが冬だとしたら、一切の暖房設備がなく凍死していたと思います。

電気は半分ほと復旧しました。逆にいうとまだ半分も復旧していません。大きな地震のあとで、不安でいっぱいの中、一刻も早く電気を復旧してほしいと切に願っています。

そして、いろんな場所からお気遣いの声を聞いています。お気持ちがすごくありがたかったです。

これからが問題だと思います。
気合で、乗り切ります。
でも、くじけたときは、ちょっとだけ愚痴ります。
日が経てば立つほど、どれだけすごかったのかわかります。
頑張ろう、頑張るしかないんだ。

ただの一般人が謝罪会見を見て思ったこと

ある日、ツイッターに突然某有名アイドルグループのメンバーが書類送検されたというニュースがトレンドに上がってきた。

なぜ?!と思ってそのニュースを追っていた。

どうやら、46歳成年男子(という表記もなんだか違和感があるけれども)が女子高生にいかがわしいことをしたとか。

第一印象としては、本当になんで?という気持ちでいっぱいで。
その次になんてことをしてるんだ、馬鹿じゃないのか。という気持ちでいっぱいになり。

その直後、朝早くにメンバーの一人が自分のテレビ番組で涙ながらに謝罪をしていた。

その彼の表情もまた、なぜこういったことになるのかという怒り、悲しみ、失望が入り交じって終始辛そうであった。

そして本人の謝罪会見が行われた。
私は仕事で見ることはできなかったので、帰りながら動画サイトで見ていたけれど、彼の話していた内容はあまり頭に入らなかった。
ただひたすらに「なんでこの人はこんなに泣いているようにみえて気持ちが伝わらないんだろう。」という気持ちだった。

大人が謝罪をするということはよくある。
大人だから?責任があるから?
それだけじゃない。
自分のしたことの愚かさを、罪を、ご迷惑をかけた方に謝る、ということができて初めて大人は謝罪をすることができるんだ。

でも。
私が見た彼は。
少なくとも「事務所」「同じグループのメンバー」へ謝ってはいた。
けれど、「被害女性」への謝罪はそれに比べて薄っぺらさを感じてしまった。
彼はごめんなさいとひたすら謝っていたけれど、黙っていたこと、そして事務所へ迷惑をかけたことに対して謝っていて、だからこそまだ籍があるならそこに居続けたい、と言ったんだと思う。

でも、そこに被害女性への気持ちって、なくないか?

ふつふつと疑問が湧き出てきて、少し世論を検索してみた。
世の中ではふらふらと遊び歩く女子高生が悪いだの、彼にされるなら私がされたいだの、問題の本質をわかっていない人が面白おかしく軽はずみに擁護しているのを見ていると本当に憂鬱になる。

大前提として、犯罪行為をしてしまった以上、その加害者が100%悪い。
被害者に過失があろうがなかろうが、争点はそこじゃない。被害にあわせたこと、傷をつけたこと、それは揺るぎない事実。

そして、リーダーがテレビ番組で仰っていた「(グループに戻りたいと言っていたけど)ありえない」という言葉。これにすべてが凝縮されている。

やってしまった彼は何もかも甘かった。
背景にお酒、そして入院、きっと一般人ではわからない苦悩もいっぱいあるだろう。
それでも、人として踏み外してはいけない階段を踏み外したせいで、一人の女性を深く傷つけた。

たったひとつの甘さが、そういう事態を引き起こした。でも彼が真っ先に誠意を見せる先は、グループでも事務所でもなく、被害者。彼はちゃんとわかっているんだろうか。



すごく余計なおせっかいだし、本当は書くことでもないかと思ったけれど、世論があまりに彼へ味方をしているので、ここで気持ちをぶちまけたかった。


私個人的には、もう引退する他ないと思っている。
私も本当はあのグループが好きだったし、日曜に番組を見るのも好きだったけれど、ファンだからといって盲目的に見てはいけないと思う。
もし彼が戻りたいというのであれば、それは本人や周りが決めることではなく、被害者の意見を尊重すべきだと思う。

なんにせよ、失望と無念、呆れ、それに尽きる。

白日の下に晒されることの是非

最近思うおばさん。
世の中こわい。

以下、差別的な意味を持って書いてるわけじゃないので、完全な私の主観なので、批判とかはしないでいただけるとありがたいです。多分、私が感じていただけかもしれないけれど。



昔、私は、オタクというだけでクラスから浮いていた。腐女子、という言葉も使うことを躊躇われるほどに。

クラスにはカースト制度があった。
頂点は、きらきら眩しい今で言うリア充
昔は、そんな言葉が存在しなかったから、明るい人たち、遊んでいる人たち等呼ばれていた。
その次に大多数の、遊んでいる目立つ存在ではないけれど、普通の学生。誰かと恋愛をして、いつのまにか結婚してたような。
そして最後に、オタク。

私のクラスは、漫画を読んでいるだけでオタク、暗いだのと呼ばれ、忌み嫌われていた。
もちろん漫画を書いたり小説を書いたりする子もいた。私も書いていた。でもそれは周りには見せるけれど、こっそり。


まさかそれがインターネットという海に放たれて、世界中の誰でも読めるような世界になるなんて。
オタク、マンガという言葉が世界で有名になっていくなんて。
そして、いろんな、本当に様々な人たちの趣味嗜好が、なんのカバーもなく、誰の目にもとまるようなこの世界が。正直、喜ばしい反面、戸惑いが大きい。

上記の通り、昔から自分の好きなものは、こっそり、内輪で楽しむものだと思っている、というか慣れ親しんでいるものだから、
たとえて言うなら、
「おーい!この子が好きな○○だよ!」と雑踏の中大声で叫ばれるような、そんな気持ち。

そして考えてみた。
世の中こわい。
有りえないことっていくらでも起きるんだなって。

波に乗れるサーフィンがうまい人ももちろんいる。
でもそのサーフィンに上手く乗れない人って、どうしたらいいんだろうなあって。
いつまでも波に手を触れて、少し大きな波が来たら逃げて。
どうしたらいいんだろうって。
こんな大きな海にはいれない。って思っている人たちも、サーフィンがうまい人たちが上手く誘導してくれたらいいと思う気持ちと、でも心の中で臆病な自分が「そっとしておいてください…」って思う気持ちがあるよなって。

無理やり海に放たれたら、元祖根暗たちは多分溺れ死ぬ。

大きな声でみんなに知らせるのも、果たしてそれは全員が全員嬉しいことなのかって、公式さんには今一度少し、思いやってほしいなあと思っている。


あえてすごくわかりづらくしてるけど、まぶっちゃけていうと安売りするのと有名税を稼ぐのは紙一重だなということです。
お前らこれ好きなんだろ?的な感じで調子に乗ってあれをやったりこれをやったりするなとは言わないけど、そこはそういう誰でも見れるようなことしたらあかんやんって。
それに対して面白いねっていう人もいれば、私の学生時代のクラスメイトのような反応をする人たちもいるのであって。
実際、そういうのを見て、オタクを十把一絡げにしている人たちはそれに対してこいつこれ好きなんだなって、思われる可能性も否定できない。

ただ単に全員が喜ぶと思わないでほしい。
とりあえず私は見ないけど。
そっと波を撫で続ける人も、サーフィンに乗りこなす人も、それに対する愛情は同じだよ。

生死について

先日、ちょっと健康について考える機会があったので、メモしておこうと思った。

私は生まれたとき、重さだけは大きかったものの、健康体というよりか人よりも少し朝が弱く、まただるさがずっと続いたりしていた。

私の親は、完全に昔の人間で、それをサボりたいから、だらしないからなどと叱り、私もきっとそうなんだ、私はだらしない人間なんだ。と思っていたし、実際だらしがないのもあった。宿題女子で一人だけ忘れたりしたし。

まあそれでも、入院したり手術したりするようなこともなく、この年まで生活できていた。
できていたという過去形なのは、ちょっとヤバそうだなーということがありまして。まだわかんないけど。

それで、もし私が入院したり、まあ、万が一のことがあった場合を考えていたのね。

するとどうでしょう!ネットでしか繋がってない人の多さね!連絡先も何も知らない、けれどその人のことはよくわかる!っていうお友達の多さ!
つまりあれでしょ?私が発信しなくなったら、私の生存情報すらわからなくなるでしょう。

私の親は、こういう機械関係一切わかりません。なんならネット環境もありません。完全にアナログ人間ね。そんな人に、『ツイッターでこうやってつぶやいてほしい』って言えるか〜!ってなったのですよ。
それよりも見てほしくない気持ちでいっぱいだけどさ。

兄弟はいるんだが………すごく好奇心旺盛な兄弟なので、できることなら知ってほしくないというか、まあ知ってしまうかもしれないけども、その時はその時だけど、その前に自分の口から書けるときに書いておこうと思って。


細細とやっているツイッターで繋がってる方ももちろん、繋がってないけどこの人大丈夫かなーって人にも見えるように、ブログに書いておこうと思いました。

とりあえず、私が覚悟した瞬間にパソコン及びスマホはぶっこわそうと思ってます。

その覚悟したときから、多分色々なことが眩しく感じられたり、妬んだり、いつも以上にネガティブになると思うから、多分何も開かないし何も見ないように生活すると思うんだ。

なので、一切音沙汰なくなったら、星になったなと悟ってもらえたら有り難いです。

本当に星になる前はきっとそんなこと関係なく喚き散らすかもしれないけど、そんなの醜いよなって私の中の私が笑ってるんで、消えるときはばッと消えようと、思ったりしてます。

重い話題ですけどまだ全然何がどうとか決まったわけじゃないんで!
そしてあとで消すかもしれないけど!
一応、書いとく。

すごくたのしかったし、まあ辛いときのほうがいっぱいあったけど、これもまた私の人生だ。
一度は海外に行きたかったな。
あとフォロワーさんにもまた会いたかったな〜。

元気になれば、また会えるもんね。

引退と勇退

あの天下の安室奈美恵が引退する、とツイッターで流れてきた。

まじか。
私が仕事に忙殺されている間、一体何があったんだ安室ちゃんよ。

と思いつつ、世間のように某太い眉毛の女の子を大丈夫?と思ったりはせず、私が一番直感的に頭をよぎったのは、勿論と言うかやっぱりと言うか某国民的アイドルグループだった。

安室奈美恵は、歌がうまい。ダンスもうまい。パフォーマンスに命を懸けている。華がある。つまり私の青春である。

と、同時に。

SMAPも、歌はそこそこにうまい。ダンスもそこそこにうまい。(この2つは正直他のグループの方が素晴らしいときもある)パフォーマンスも命を懸けている。
そして何より、華、いや、オーラがある。同じく私の青春である。


そして、YouTube を見る。
画面の奥には、楽しそうに、時には大変なことを乗り越えながら、SMAPの5人が、いや、6人が笑顔ではしゃいでいる。

私は、みんなの笑顔がもっと見たかった。
テレビ越しでもいい。ライブも勿論嬉しいけれど、月曜に仕事を頑張ってクタクタで帰ってきたとき、テレビを付ければそこに君たち5人が、画面の向こうで頑張っている姿を見て、笑いながら、感動しながら、今週も乗り切ろうと頑張れていたのに。

テレビをつけても君たちが揃っていないことに、いまだに身体が慣れない。もしかしたら他の局では揃っているのかも、と思っていたのはちょっと前まで。
もう、テレビを見るのをやめた。
そこに君たち全員が揃うことがないから。
こっちがありがとうを言う前に、事務所の不思議な圧力で、雲散霧消してしまった5つのかけがえのない星たちが、どれだけの人間を支え続けてくれていたのか、訴えたいけれど、行き場のない思いは結局歌を聞いて慰めるしかないんだ。

安室ちゃんは、最後の一年間精一杯がんばると仰っていた。

どうしてSMAPにはその機会も与えられなかったのかなぁ。
その一年があれば、きっともう少し現実味を帯びて解散を受け止められていたのになあ。


あれから色々な所で私の大好きな人のせいで解散しただの、悪者は誰だの良くないことばかりニュースで見るけれど、裏を返せば、それだけまだまだいなくてはならない存在だったっていうことに、みんな薄々気づいてくれているんじゃないのか。

SNSをやるっていう噂もみたけれど、私は正直、そういうことよりも、また5人で紅白の階段を降りる姿が見たい。タモリさんにアドリブで寄って歌う姿が見たい。SMAPです、というアナウンサーのこえで、会場が黄色い歓声に包まれているところがみたい。

自分の好きな人たちがいつまでもその解散話に囚われるくらいなら、やっぱり安室ちゃんみたいに猶予期間が欲しかったな、と思いつつ。

兎にも角にも、安室ちゃんお疲れ様でした。
貴方のストイックなバラエティ嫌いの姿勢、嫌いじゃないです。

そしてSMAPのみんな。
いつでもファンは応援するから、また戻ってきてほしい。いつでも。50歳でも60歳でも、絶対に応援するから、またみんなの笑顔を見せてください。


とりあえずは今月末のスマステ、必ず見ましょう。慎吾の最後の勇姿を、胸に、目に、焼き付けます。

様々な事象が重なって起こった話について

私は嗜好品がすきです。

コーヒーと紅茶と緑茶にはわりとこだわりがあります。

 

その中でも、今回は紅茶について書きたいと思います。

 

カレルチャペックというブランドに出会ったのは、某SNSでよくお話しする方からの

頂きものという形でした。

 

某Rというお茶専門店でよくお世話になっているので、

お茶には結構拘りと好みがあります。

 

今回頂いた紅茶は、某名探偵が小さくなったアレのコラボ商品でした。

実は私は大のコナン好きで(言ってるし)

嬉々としてそれを開封して、飲んでみたわけですけども。

 

うまい(テーレッテレー)

いやまじで。

ホントうまかったです。最近香料にごまかされる紅茶が多い中で、

しっかりと紅茶の味もしましたし、フレーバーもそっと寄り添う感じで。

 

なんぞこれは?!と思い、

早速検索しました。お店を。

 

関東しかない。(知ってた)

 

残念に思いながら、ネットサーフィンしていたんですが。

まさかの!近所にカレルチャペック取り扱いのお店が!ある!!!!

しかも最近オープンしてる!!!!

しかしながら、私の仕事の都合がつかず、

発見してから2週間近く経ってから、ようやくお店に伺うことが出来ました。

 

お店には様々なお茶が陳列されていまして、

目が移りまくっていた私に店員さんが「どうぞ」と試飲をくださいました。

走って向かった私はそれをのんだ瞬間、

「これください」(即答

結局、

  • 蘭のレモンパイティー
  • ナイトアールグレイ
  • チルドレンハーブ(試飲で即購入したもの)
を購入致しました。
ついつい興奮していた私は、「ようやく来れました~」などと
店員さんに話して、店員さんも一緒に喜んでくださったので本当に幸せなひと時でした。
その際、一番の目当てのカラートリックティ5Pが品切れだったので、また行こうかなと思いながら、また仕事で忙殺されていた私でしたが。
 
先日、神社にお参りに行った際、本当に偶然に、店員さんとばったりお会いしまして。
思わず声をかけてしまった私に、
相変わらず優しい店員さんで、また行こう!と強く思ったわけです。
そして、カラートリックティの取り置きも快く引き受けてくださいまして。
 
私も大切なお参りだったものですから、ありがたくって。
縁って不思議だなあと思います。
 
それからさらに数日たちまして。
ようやくめどが経って伺いました。
 
私のカラートリックティ、きっちり店員さんが取りおいてくださいました。
ありがてえ。
 
顔も覚えてくださっていて、ありがたいなっていう気持ちです。
 
この手元の紅茶がなくなったら、また伺おうと思います。
 
本当に縁って不思議なもので、友人に紅茶を送ってあげようって思ってもらうことがなければ、
近くにカレルチャペック取扱店が出来なければ、
上記の出来事はすべて起こりえなかったと思うと、
きっかけとなった、
最初に送ってくださった友人に感謝しつつ、カラートリックティ頂いてます。
 
 
今度は何を買おうかな~。