死について
先日、著名な方の奥様が亡くなった。
梨園の妻になるというニュースをテレビで見たことがあるくらいの認識だったけれども。
ある日、彼女が癌であるということを公表した。
その時に、一瞬頭をよぎったのは、某アナウンサーさんだった。
あの方も、私の病名はガンです、とはっきり仰っていた。
その頃は命について深く考えられる年齢ではなく。
それでも、いつもテレビで見たことがある人に対してとてつもない衝撃を受けた。
冬。
彼が亡くなったという新聞記事を目にした。
全くお話をしたこともない、テレビの向こうにいる方なのに、私はポロポロと涙をこぼした。
私の大好きなおばあちゃん。
おばあちゃんの死に際に、私はそばにいることができなかった。安らかに眠る祖母の隣で、また同じようにポロポロと涙をこぼした。
ありがとう、も、ごめんね、も伝えられなかった。
この年になると、身近な人が亡くなることも珍しくなくなる。
彼女は、もっと生きたかったはずだろう。
もっとやりたいこともあったはずだろう。
私が計り知れないほど、たくさんの『生きてやりたかったこと』があるだろう。
自分はどうだろう、と思った。
嫌なこと、辛いこと、たくさんあるけど、
まだやりたいことはたくさんある。
後悔だけはしたくないけれど、
誰も自分がいつ死ぬなんてわからないから、
やりたいように生きるしかないんだと思う。
日々を丁寧に生きようとか、
命を大事にしようとか、
そんな綺麗事ではなく、
とりあえずは今日も生きた。
それだけでいいんじゃないかなって、私は思う。
生についての答えなんてもちあわせていないけれど、それはきっと、死んでもわからないから。
改めて、ご冥福をお祈りします。