生死について

先日、ちょっと健康について考える機会があったので、メモしておこうと思った。

私は生まれたとき、重さだけは大きかったものの、健康体というよりか人よりも少し朝が弱く、まただるさがずっと続いたりしていた。

私の親は、完全に昔の人間で、それをサボりたいから、だらしないからなどと叱り、私もきっとそうなんだ、私はだらしない人間なんだ。と思っていたし、実際だらしがないのもあった。宿題女子で一人だけ忘れたりしたし。

まあそれでも、入院したり手術したりするようなこともなく、この年まで生活できていた。
できていたという過去形なのは、ちょっとヤバそうだなーということがありまして。まだわかんないけど。

それで、もし私が入院したり、まあ、万が一のことがあった場合を考えていたのね。

するとどうでしょう!ネットでしか繋がってない人の多さね!連絡先も何も知らない、けれどその人のことはよくわかる!っていうお友達の多さ!
つまりあれでしょ?私が発信しなくなったら、私の生存情報すらわからなくなるでしょう。

私の親は、こういう機械関係一切わかりません。なんならネット環境もありません。完全にアナログ人間ね。そんな人に、『ツイッターでこうやってつぶやいてほしい』って言えるか〜!ってなったのですよ。
それよりも見てほしくない気持ちでいっぱいだけどさ。

兄弟はいるんだが………すごく好奇心旺盛な兄弟なので、できることなら知ってほしくないというか、まあ知ってしまうかもしれないけども、その時はその時だけど、その前に自分の口から書けるときに書いておこうと思って。


細細とやっているツイッターで繋がってる方ももちろん、繋がってないけどこの人大丈夫かなーって人にも見えるように、ブログに書いておこうと思いました。

とりあえず、私が覚悟した瞬間にパソコン及びスマホはぶっこわそうと思ってます。

その覚悟したときから、多分色々なことが眩しく感じられたり、妬んだり、いつも以上にネガティブになると思うから、多分何も開かないし何も見ないように生活すると思うんだ。

なので、一切音沙汰なくなったら、星になったなと悟ってもらえたら有り難いです。

本当に星になる前はきっとそんなこと関係なく喚き散らすかもしれないけど、そんなの醜いよなって私の中の私が笑ってるんで、消えるときはばッと消えようと、思ったりしてます。

重い話題ですけどまだ全然何がどうとか決まったわけじゃないんで!
そしてあとで消すかもしれないけど!
一応、書いとく。

すごくたのしかったし、まあ辛いときのほうがいっぱいあったけど、これもまた私の人生だ。
一度は海外に行きたかったな。
あとフォロワーさんにもまた会いたかったな〜。

元気になれば、また会えるもんね。