北海道胆振東部地震

平成30年9月6日。

北海道胆振東部地震、発生。

私は前日に少し夜ふかしをしてしまい、1時過ぎに寝入りました。

私は、音楽を聞きながらいつも寝るのですが、目を閉じて寝ている際、イヤホン越しに「………してください」「ちゅ……してください」という女性の声が聞こえました。

なんだろう、と思った瞬間、横揺れが発生。
ごくまれに揺れることがあったので、また地震かぁ、と寝惚けながら考えていた瞬間、ガタガタガタ、と窓が揺れてベッドが横に激しく揺れました。

瞬間的にこれはまずい!と思ったものの、怖くて動けず、揺れが収まったと思ったときにようやく体を起こしました。

とりあえずスマホを確認しました。
聞こえた声は、緊急地震速報でした。
3時過ぎなのでツイッターのタイムラインはあまりいないかもしれないと思ったんですが、同じ市に住む方々が呟いていて、少し安心したことを覚えています。
そして、窓を開けてみました。真っ暗でした。皆起きなかったのかなあ、と思いました。今考えてみたら、皆起きていたんだろうけども、停電で電気がつかなかったんだと思います。

怖くて寝れなくて泣きながらスマホで確認していると、停電の情報を確認しました。
どうしよう、と思いました。今は明け方だし、すぐ復旧するかもしれないし、と迷って考えて、とりあえずお風呂に水をためながら、ガスの元栓をしめて、また布団に戻ってから考えて、今のうちしかないと思って、靴下を履いてパーカーを羽織って家を飛び出しました。


外に出た瞬間言葉を失いました。
無音。そして街灯もつかず、大通りに見える店屋の電気もついていない。
何かわからないけど、ものすごい不安に襲われて、自転車を急いで漕いで最寄りのコンビニに。
いつもの明かりがついていなくて、やっているのだろうか、と思って出てきた人に聞くと、やっていますよ、との答えによし、と思って飛び込みました。

コンビニの中はやはり電気がついておらず、レジにオレンジ色の光が灯っていました。
発生時から一時間ほどだったので、最後に残っていたスマホの充電器を無事手にして、あと何がいるんだろうと考えました。
でも、テンパっていてまったくわからなくて、とりあえずカップ麺とおやつ、落ち着きたくてコーヒーを買いました。
レジは稼働していました。クレジットカードは不可でした。
こういう時のために、現金でいくらかは用意しておかないとと思いました。
ありがたく必要品を購入して外へ。ようやく白んできた空を見上げて視線を下げると、いつもならついているであろう信号が真っ暗で、この世が終わりだなと思いました。

家に戻って、充電しつつ情報を収集しました。
震度6強とのこと、札幌市がとてつもなく揺れたこと。安平はもっと揺れていたことを知りました。私は、明日の仕事はどうなるんだろう、とぼんやり考えていました。
もう時間が遅かったので、そのまま起きていました。明け方、明るくなってきましたが、外は一切電気はつきませんでした。

6時前後くらいに親から電話がかかってきて、無事を知りました。そして勤務先から自宅待機と言われ、さて、どうしたもんかと思いました。電気はつかない、水道は出る、ガスも出る。でも電気はつかないし、実家に避難しようと思いました。
正直すごく心細かったので。

けれど、電気が通っていないということは実家に帰る手段がないと思い、親族に連絡をとって迎えに来てもらいました。
着の身着のままで実家に。
実家に行くまでの道は、当たり前ですが、すべての信号が消えていて、皆譲り合いの精神で走行していました。

札幌は、これまで計画停電はあったけれども、これまで大きな停電や地震はありませんでした。
これはずっと続くのか、この先どうなるのかと思いながら、実家について親の顔をみて、安心しました。実家には他の親族もいました。
同時に、まだ8時なんだと思いました。

でも、これからが長い悪夢の始まりでした。

実家も電気は通っておらず、簡単なものを食べながら、ラジオを聞いていました。
ラジオは繰り返し北海道で大きな地震があったこと、停電していること、復旧は未定と言っていました。

どんどん不安が高まっていきつつ、親族の姪とトランプなどして気を紛らわせていました。
充電もどんどん減っていきました。
いつ電気が通るのかなと思いながら、トランプをしていました。
途中、買い物が必要になり、私と父で買い物に出ました。朝方だというのに、スーパーの前はどこも行列でした。
見た目には被害はないから、どうしてこんなことになっているんだろう、って完全に現実逃避したことを覚えています。
結局個人商店で野菜を買い、家に戻りました。

そして、外がどんどん薄暗くなり、私はペンライトを、親は懐中電灯とランタンをつけました。

ついに真っ暗になりました。
電気が、本当につかないか何回もブレーカーを上げたり下げたりしてみました。結局つかず、下げました。
ペンライトをつけて、親といつ終わるのかな、なんて話をしていて、ひたすらにラジオから流れる情報を聞いていました。
ツイッターも見ていました。テレビで○○と言っていた、という情報は入るけれど、肝心のテレビが映らず歯がゆかった。
ただひたすらラジオが頼りでした。

この地震に名前がついたこと、犠牲者がいること、マグニチュードを知りました。

思い立って、外に出ました。
明かりの一切つかない札幌市の夜空は、こんなにも星空がきれいなんだと思いました。
天の川も、きれいに見えました。

結局、21時には布団に入りました。
こんな早くに寝られるだろうか、と思いながら寝ましたが、多分疲れていたようで、すぐ寝入りました。

朝方、スマホに今日も自宅待機ですと連絡があり、親と一緒にスーパーに行きました。
空いているところに行こうとするも、どこも行列で、それでもなんとか米や羊羹、おしゃぶり昆布を購入して帰りました。
どこのお店も、きっと店員さんもお疲れだろうに、笑顔で優しく対応してくださって、本当に有難かったです。

ガソリンスタンドはもっと行列でした。
並ぶのは諦めて帰宅し、自分の家の様子を見に行ってみました。
電気は、まだつきませんでした。
他の知人の家はもうついているのに、ラジオではどこどこは復旧したと言っているのに、どうしてここは繋がらないんだと、やり場のない気持ちが溢れました。

買い物がてら見つけた、近所の避難所に行って、充電できるか聞きました。ACコードがあれば可とのことでした。充電器しかなく、途方にくれました。また親に頼み、一度自分の家に戻りコードを手にしてとんぼ返りしました。

コードを持ち、再度避難所に行きました。数人しかおらず、皆充電をしていました。私も案内され、充電しました。スマホを開くと、電池がわずか1%でした。

充電が終わるまで、じっと座って待っていました。お昼ころに行きましたが、夜ギリギリまでかかりました。ずっと体育座りをして硬い床で座って待っていて、腰が痛くなりました。
子供や若い人、おじさんやおばさんもみんな利用していました。早く復旧してくれたらいいのに、という声が聞こえました。

やっと充電を終えて家に帰りました。
スマホでまた情報収集をしながら、暗くなったので親と話していたら、突然明るくなりました。
一瞬言葉が出なくて、やったー!と叫んで親と抱き合いました。即シャワーを浴びて、テレビをつけて、知人についたことを報告しました。

そして、今。
なんとか電気は通っています。
ですが、知人は電気や水道、ガスが使えない場所にいます。
どれだけ普段の生活で電気に頼っていて、電気に安心を求めていたかわかりました。
水道やガスは元々使えたので、余計にそう思ったのかもしれません。
それから、もしこれが冬だとしたら、一切の暖房設備がなく凍死していたと思います。

電気は半分ほと復旧しました。逆にいうとまだ半分も復旧していません。大きな地震のあとで、不安でいっぱいの中、一刻も早く電気を復旧してほしいと切に願っています。

そして、いろんな場所からお気遣いの声を聞いています。お気持ちがすごくありがたかったです。

これからが問題だと思います。
気合で、乗り切ります。
でも、くじけたときは、ちょっとだけ愚痴ります。
日が経てば立つほど、どれだけすごかったのかわかります。
頑張ろう、頑張るしかないんだ。