気にしすぎる性分はどうにかならないものか。

毎日毎日、どこかでテロが起こったり、凶悪な事件が起こったりする中で、それを目にしたり、耳にしたりするたびに、心の中に鉛が溜まってゆくみたいに重くなる。
心が重い時って、体も重くなる気がする。
何かをやりたいけど気力が出ない。
ご飯を食べなきゃいけないけど作る気力がない。
それでも体を引き摺って仕事には行く。
そして仕事をしていると嫌なことがあって心の中に鉛が溜まってゆく。

どう考えても悪循環なのに、どうして世の中の摂理ってこうやって決まってるんだろう。


私は昔から白黒はっきり付けたい性分で、物事にある理由を必ず知りたいと思ってる。
事件の裏になにがあったかとか、この原因は何、など。

自分でも考えても無駄なのだと、わかっているんだけど。わかっているんだけども、解決しないと自分の中でずっとモヤモヤがたまる。

今は目の前の板に指先で二三言入力すれば世の中のあらゆるニュースを見ることができる。
でも私は、その情報の渦に巻き込まれて、洗濯機のようにぐるぐるかき混ぜられて、かと言って洗濯されるわけではなく、情報過多な状態でビショビショのまま脱水もせずに放置されている、そんな気分。

こんなに世の中が荒れていたら、そりゃ永遠に目覚めたくなくなるよな、と近頃は思う。

たった一歩違うだけですぐあちらの世界に行けるのに、それでも行かないってことは、何かしらの未練か何かが自分の中にあるんだろうけれど。
ただ惰性で生きているようなきもするけれど。

それでももう少し、いろんな情報から目を瞑りたい。嫌なことを受け入れなきゃいけないのはわかってるけど、もう疲れたよ。